富岡製糸場と養父市養蚕
蚕の里イベントが大屋で行われました。そこでタイムリーな資料を頂きました。『富岡製糸場と養父市の養蚕』(養父市教育委員会発行)です。イベントでは地域の物産紹介と若干の販売、ビックラボ(芸術村)のスチールパン演奏、それと画像の繭から糸を取り出す実演などでした。
さて養父市の養蚕歴史は、旧養父郡が明治以降の近代化にどんな役割を果たしたのかを教えてくれます。私の微かな記憶にある昭和30年代と関連付けながら思えば、日本が加工貿易立国としてエネルギーや原材料を海外に殆ど依存する少し前は国内で原材料を調達していました。養父市の産出物とは、①明延・中瀬の鉱物資源、②杉・檜などの森林資源、③農産物と養蚕(グンゼ)などです。つまり原材料を産出することが養父市や但馬の産業的な役割だったのです。(では今は何か? )
そんな基幹産業であった養蚕の歴史上その名を海外まで轟かせた人物が養父市大屋の〝上垣守国”です。では資料に基づき簡潔に・・・
①1803年上垣守国は出石藩支援で養蚕秘録(養蚕の技術書)を完成させ出版
②これをシーボルトが持ち帰り1848年フランス語に翻訳パリで出版、その後イタリア語訳、ヨーロッパで広まる
③養蚕秘録に学んだフランス人ブリューナはフランスで広めた日本式養蚕技術を高め、日本に逆輸入されたのが富岡製糸場(1872年)
④1881年小倉寛一郎(大屋町)が12馬力ボーラー式の製糸工場を始める
⑤1897年兵庫県立簡易養蚕学校開校、現県立八鹿高校
⑥1905年小倉寛一郎の51製糸工場、1914年郡是製糸株式会社に統合、八鹿工場、養父工場