兵庫県議会では議員の教育関連質問へは教育長が答え、知事が答える事は稀です。教育委員会と言う政治に直接関与されない独立性を維持し公正中立に教育せねばならないとの趣旨からはある意味正解かもしれません。
答弁は具体性に欠き、殆ど全国共通の学習指導要領の朗読と化します。これでは質問の答弁として外すことは決して無いのですが、的を得ているかと言えば答えは完全にNOです。 指導要領は全てを包括的に日本語化しているからです。
話は県立高校学区再編と選抜制度改革についてです。但馬では特に八鹿・豊岡高校の所在市での反対(高校近隣地区の地元高校への進学率激減懸念)の声が強い。 確かに一気に地元開門率が大きく減少する事へは何らかの対応策が必要だろう、しかしそのことが直接地域の疲弊に繋がるのか? (この場合疲弊とは地元賑わいの喪失、上昇思考教育となり地元に帰らない生徒育成、人口減少)これは少し誤解と言うか思考方向の少なさに問題がある。
まず都市部や世界で活躍できるような能力を育成する教育は放棄すべきではない。そしてそんな優れた生徒が但馬から出る可能性を否定してはならない。兵庫県の目指す教育はあくまで上昇志向であらねばならない、上昇志向とは何も世界や東京・大阪など都市部とは限らないはずで、田舎や地方で新たな就業や起業の可能性こそを模索することは今後大きな可能性がある。
では基礎自治体の所管する中学校までの教育とは何を志向すべきだろうか? 都市部と中山間地の教育内容はどれだけ違うのだろうか? 基礎教育だから違わないと言われそうだが、違わねばおかしいのです。教科書採択基準はこの祭置いても、子供の関心は課外授業や登下校の風景や家庭内の環境の方が遥かに大きい。(教室での授業においても、教科以前に教師への関心)この時期(市町所管の中学まで)教えねばならぬ一番大切な事とは教育を受ける・学ぶ姿勢の範疇で決して専門的高等知識では無い。この時郷土の話題をどのように教えるか、どんな体験をさせるかは全国同じでは決してないはずです。即ち教育の地方分権が求められているのではないかと思えてくるのです。
Ⅰ.国家としての基本的(逸脱してはならない)教育方針
3.市町単位での独自性
兵庫県の進める学区再編、様々な影響は出ます、しかしこの課題にただ単に反対するのではなく、市町教育の分権(何がしたかったのに今まで出来なかったのか? 市町の抱える課題にどう向き合ったのか?)これらを考える事を第一としながら同時に県教委にも要望せねばならない。
とりわけ、人口減少で集落機能が無くなりつつあり、福祉関係費が急増し、地域マーケットが縮小を続ける中で経済生活が営めなくなりつつある地域にとって今(ずっと前からですが)最大の課題とは、働く場所の確保・起業支援です。 学力優秀な子から都市部に流出する事を止めるのではなく、どんどん勉強して出て行ってからでも彼らが帰省して働きたくなるような場所の確保も併せて考えねばなりません。
親の職業への意識改革も必要です。行政としてどんな職場を確保するのか・この町にはふさわしいのかも真剣に考えねばなりません。そうすれば当然、このテーマに教育界も参画すべきです。