おおやのごちそう祭りのメニューで「さらなる一歩を!有機の里づくり」と題した保田名誉教授のミニ講演がありました。 興味深い氏の農業への考え方をお聞きした。
藻谷浩介氏の「里山経済学」では未開発の田舎への投資可能性の高さが言及されている。他人とは逆の行動を取る事は、世間一般の目の着けどころとは違うことが競争原理上の有利である。しかし保田先生の考えはもっと本質的な土着して生きることへの言及であり、経済のためだけの農業戦略とは意を異にする。(直観です)
まず明治から終戦までを振り返ると例えば大屋市場では・・・ 全国どこでも新町や駅前、市場という地名がある。市場とは市、すなわち物品市場であり、地域の物品販売が行われた場所の総称です。 四日市、八日市、九日市、これらは毎月この数字の日に市が開かれたことからこの地名になったのです。
ではこの時期のおおや市場にはどんな物を売っている店があったのか? それは野菜や農産物など自給品を除くすべての生活必需品があったようです。しかし戦前は化繊やゴムはなかったことから、靴ではゴム長ではなく”わらじ”など藁で編んだものか、下駄だったはずです。ビニールひもの代りは縄や綿糸、あるいは絹糸です。おおや以外の人たちへは当然競争力のあるものを小売りではなく卸売るわけですが、当時は米、牛、木炭・薪、養蚕くらいでしょうか。
山や畑、田んぼから採れるもの以外が並ぶ市(商店街)なんですが、発想が限定的で、物流機能が未発達ですからある意味地域独自のマーケット限定品が並んでいたことになります。 そんなモノに関しては今と比べるべくもない決して恵まれてはいない環境だったのです。では当時は貧しかったのか? 決してそうではありません。 街には子供や若者があふれ活況でした。
流通論的な見方では、地域の市場や商店街は人の賑わいに対応しながら、自然発生的に専業単一品販売店が集まったものです。また当然家内工業的規模ですから安定経営や安定的商品供給、継続的顧客サービスの観点は抜け落ちてました。後のセルフ複合店舗(スーパーマーケット)では顧客の導線から計算された店舗レイアウト(買い回り利便性)がなされています。価格、品ぞろえは言うに及びません。
しかしです、高品質・多選択肢・低価格な商品と引き換えに、我々は何を失ったのか? 田舎は地域は生き残れるのか? これこそが保田先生の疑問であり、本講演のテーマです。