9月議会が閉会した直後、自民党県議団として初めて被災地視察調査を計画実施しました。災害発生から7ヶ月が経過しました。救命・救急、避難所設置、仮設住宅建築、と次第に普段の生活に戻りつつある東北地区です。 ボランティア、友人を訪ねて等、個人的に被災地を訪れた議員も多いのですが、県会議員として行ったのではありません。
いよいよ当地区の復興計画が策定されたり、国家としての被災地支援の財源論が活発化する今、議員としての役割があります。(今までは医師・看護士、警察・消防力が必要だった)
二班に分かれ総勢30名の議員が参加します。一班は岩手県石巻空港から釜石市→大船渡市→陸前高田市→仙台市→名取市のコースです。
▲平田地区の少年野球大会を後援、ボール他流された野球用品を購入し贈呈してきました。議員が兵庫県民にカンパを頼み実現しました。 屈託のない野球少年の笑顔は地元にとっても私たちにとっても大きな勇気を与えてくれます。
▲野球大会会場である小学校グランド横には破壊された校舎が、、、
▲野球大会に大漁旗! 漁村ならではの応援風景
▲壁面が壊れた階段、この学校では3階の床まで浸水跡があった。
▲小学校一階廊下
▲グランド横の防波堤を越えると・・・
▲今回、地元ガイド約をお願いした橋本氏(岩手第四支部長)通常では入れない道の案内や避難所、地元新聞社への連絡他、大変お世話になりました。 温和にして真面目、飾り気のない人柄が言動に表れています。
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▲瓦礫の山
▲形容の仕方は適切ではないが、ユニバーサルスタジオの廃墟ロケ現場のような有様。復興計画が策定されつつあるが、既に店舗が営業再開している。建築申請は誰が下ろしたのか? 後々問題となるかも知れない。
▲大船渡市海岸部、地盤沈下が激しい(60~70センチ沈下)、満潮をに向かい水路から海水が湧いてくる。~側溝に小魚が泳いでいます~
▲打ち上げられた大型漁船、小型船舶は既に撤去されたらしいが、この船は運べず此処での解体作業中。
▲仮設住宅 阪神淡路の時より遙かに広く、燃料はプロパンと電気、この地区は沿岸部の小学校区の方が生活していらっしゃる。集会場もあり、支援スタッフと自治会とで住民のお世話をするなど独自のコミュニティーが発達している。
▲集会場でスタッフの皆さんと
~写真撮影は躊躇していましたが、誘われてしまいご覧の通り~
▲陸前高田市に入る、この時期東北の夕暮れは4時30分くらいとか!
▲瓦礫が集められたが、何もない湿地帯となった。
▲宮城県議会
今回の調査で何度も電話で打ち合わせさせて戴いた宮城県議会自民党幹事長、皆川氏が同席された。延期中の県会議員選挙の告示(11月4日)を控えていらっしゃる。
▲既に宮城県震災復興計画が策定され、先の議会で可決されたばかりと聞く。その概要説明と質疑
▲宮城県の瓦礫量は24年分、しかも発生は沿岸部のみで、
▲仙台市街地から海岸部へ 平坦な仙台平野では津波は7キロも内陸部へ入った。
▲鉄筋コンクリートの躯体だけが辛うじて残ったが、後は基礎が残っているだけです。
▲仙台市街地の遠景、本来肥沃で広大な平野が、原野と化している。
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▲犠牲者に黙祷
被災地のグランドデザインが描かれつつある。阪神淡路大震災の時もそうだったが、復旧に終わらせず、現状課題解決に向けた復興を誰もが望む。19兆円とも言われる被害額に復興分が上乗せされる。民間の自己負担や自治体負担に加え国の復興債を投入した日本挙げての事業となる。
復興債とは詰まるところ国民の税金ですから、東北の復興は本来日本人全てが何らかの関わりを持つことになります。~負担がいやだと言っているのではありません~
ならば、どうも遠くの机上でしか考えていないように感じる政府に丸ごと任せてしまう事は出来ないのではないか?
本視察でお会いした、橋本支部長、皆川幹事長の懸命に地域再生にかける姿勢を垣間見させて戴き、今こそ本当の政治主導が求められていることを実感しました。
私たちは同じ議員として、感傷的な国民感情が少し収まり、現実的な原発・放射能問題ばかりクローズアップされる世相にあっても、現実的な東北復興へ理性的判断をせねばならない。すなわち全ての国民理解と負担で成し遂げる私たちの復興計画として。