兵庫県議会議員みなみ但⾺選出 藤⽥ 孝夫(ふじた たかお) オフィシャルサイト

ひとり言

藤田孝夫

藤田家の貧乏子育て

私が小学生だった夏休みのある日、母と二人で昼食を摂っていた時、私は母に聞いた「うちって貧乏なんか?金持ちなんか?」

母は間髪を入れず「貧乏だ」と答えました。 その日のメニューはハッキリは覚えていないが、御馳走では無かった、多分祖母がつくったクコ茶で魚のへしこ(糠漬け)お茶漬けだったろうか? 

妙に納得した幼い私はショックではあったろうが、子供なりに自分で何とかしなければ・出来ないとしてもこれ以上親に迷惑はかけられないと思ったに違いない。

今思えば本当に貧乏だったかどうかは怪しい・・・・少なくとも家は貧乏かも知れないが、事業会計はそれなりに採算ラインには乗せていたに違いない。とにかくコスト圧縮の手段は経営者の無報酬残業によるところが大きく、食費を浮かすための畑作や養鶏、煙突掃除など生活メンテの日である日曜日さえ月に2度くらいだったはずです。しかしそれこそが将来への投資・しかも労働時間による当時多くの商売人が行っていた事だったのかも知れません。いわゆる“爪に火を灯す”暮らしぶりです。~削れるところから削る=経常経費=衣食住光熱費~の単純な図式です。

多くの友達が持っている物を私は持っていなかった。例えば、幼稚園入学時、私の上履き入れは母が縫ってくれた布製だった。他の友達はあの頃流行ったビニール製でカラフル且つ光沢あるものだった。正月に下す“いっちょうらい”も大人上着(ジャンバー)のすり減った部分を削除し痛んでないところを使って縫う、母の裁縫練習作品でした。(結果的に、未だ母は和洋裁をたしなんでいる、究極はパッチワークか?)しかしその逆で他の友達が持っていないモノを私が持っていることもあったに違いない。

子供のわたしには、家の中にある所有物以外に楽しいモノは一杯転がっていた、屋外に。家にいる時間なんて当時の私では寝る時とご飯を食べる時ぐらいで、あとは外(川や山、畑)で遊んでいたはずだから。モノ(規格工業製品)が欲しいと思った時はは、こども心に私は、“欲しいモノは自分でお金をためてから好きな物を自分で買う”これしか方法は無いと信じていました。~どうせ親に頼んでも買ってはくれないのだから~ 当然、親・家族の貯蓄額を聞くことはありません。未だもって全く知らないのです。

 

藤田清次(祖父)の藤田家言い伝え  ~金は儲け使い、知恵は出し使い~

 

さて話は教育論です。 教室へのエアコン設置、授業料無償化、通学路整備、登下校見守り、スクールカウンセラー、少人数学級、教科担任制・・・・ 枚挙に暇がありませんね。際限なき公的関与のスパイラルです。 これが普通であると子供たちが思わないでしょうか?

教育を受ける側から、自分で生きていく立場に変わった時、どんな行動がとれるでしょうか? 無いモノばかりと気付くはずです。そればかりか自分の事を社会は受け入れてくれないと勘違いしないでしょうか? 子供の行動の幅・出せる知恵の幅を結果的に現代教育界は狭めている事は間違いのない事実です。 子育ての第一義的責任者、それは親です。社会に任せられること等到底あり得ません。

そうだとすれば、今本当に求められている教育環境での課題とは、親の責任を喚起し子育てへの責任を明確に定めること。親が子供の知恵や発想を引き出し、自由な行動を妨げないことである。一方で公教育では各家庭特有の子育てに一定の社会的ルール(比較対象)を示し、この二極性が今失われているのではないか? 物質的な公的関与を際限なく拡大することでは決してない。

そんな意味からは有名校や24時間預かり施設・塾などが溢れる都市が教育環境で優位性なのではなく、自然の摂理を身を持って体験でき遊び学べる環境が溢れている地方で幼少期を過ごすことの方が望ましい。地方教育(地域教育)は果たしてその独自性・優位性を活かしているか? 

 

かく言う私も子達に対して、もはや直接教えられる環境ではありません。三つ子の魂を忘れず人格の真髄に今も置いていてくれる事を願うばかりです。

 

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