一億総活躍社会 活躍とは?
「10歳にしてお菓子に動かされ、20歳では恋愛に、30歳で快楽に、40歳では野心に、50歳では貧欲に動かされる、いつになったら人間はただ知性のみを追って進めるようになるのであろう」
■
ドイツの文豪ゲーテの言葉です、人生50年の設計で足りた時代の言葉かもしれませんが、ゲーテ自身は82歳まで生きています。もしかすると60歳、70歳・・と続きがあれば、何に人は動かされるのか? 「 ・・・・・60歳で健康に動かされ、70歳では孫に、80歳ではお寺さんと遺産相続に翻弄される、いつになったら老後はただ とが山学園活動のみに集中できるのであろう」(笑) ともかく人生80年はおろか90年設計の時代となったことは確かで、本年も「ともがき」 を発刊できることは学園や学生の皆さんにとってこの上ない幸せな事とお慶び申し上げます。
■
人口減少は静かな有事、国力が衰えると言われ「地方創生、一億総活躍社会」を目指すとされる。 「東京一極集中を是正し関西や地方がその役割を分担する」 とは逆の言い方をすれば、「東京は頑張っている、いや頑張り過ぎだが、地方は頑張りが足りない、現役世代は頑張っているが、女性、高齢者はまだまだ頑張れる余力がある」 と言われているに等しいのです。 共働きが奨励され子育て介護は社会が担うよう設計され始めて久しい。 特に少子化対策として子育て応援をしなければ、子供を持つ家庭が苦しいようでは若い世代は子供を産もうとしないのではないか?勢い子供を増やす最適な方法として、子供医療費を無料にしよう、子供の教育費を無料にしよう、あらゆる支援制度を行うこととなります。
■
しかしよく考えてみればこのことは、すべての国民が家族の介護や子育てをせず(少し言い過ぎだが、共通の悩みだから社会制度でもう少し助けてあげよう)全国一律に社会(国家)で生活弱者救済をするという事です。歓迎すべきことですが、
「子供は国の大事な将来の支え手(納税者)だから国家責任でお世話するので家族の方はどうぞ心配なく、働いて稼いでください」 と解釈され、教育も介護も親子の第一義的責任では無くなっているように勘違いする人が出てくるのではないかと危惧されます。
■
私は、仕事とは人の役に立つ行為すべてを言うのであって、高い賃金を得られる行為だけを言うのでは無いと思います。賃金(サービス対価)は需要と供給のバランスで決定されますから絶えず変化しています。 またすべての仕事・行為を経済的に数値で換算できるはずもありません。
■
例えば炊事・洗濯・掃除や教育・介護はどれくらいの経済生産額なのか? 所得税法では家事費用は経費として認められないのです。しかし業種としては殆どすべて存在しており料金を他人に支払えば、炊事、洗濯、掃除、引っ越し、家庭教師、介護はサービスが受けられます。 家事(身内)では認められない生産性がサービス業では認められていることになります。
■
同じく高齢者の経済生産性とは何でしょう? 労働対価を得られていない者は働いていないのでしょうか? 無償での地域への奉仕やボランティア活動は労働対価を得られませんから参加者の活動量を比較し序列化することもありません。個人個人が出来る時に、出来る事を行う、結果としてサービスを受ける方もサービスを行う方も双方が幸せを実感できるのだと思います。とが山学園でも活動をリードして運営される方、参加される方、外部から手伝う方、見守る方、それぞれの願いは同じです。 一億総活躍社会とは金額換算できるものだけでなく、そのような善意が支える無償の活動も含めて進めていくべきものであると感じています。
■
元気で快活な高齢者が溢れ、世代を超えて理解し合える、気遣いができる、気持ちが安らぐ、やがて知恵の継承になる。そんな円や$で計れない田舎町を創ってゆくことも地方創生で目指す姿です。
■
時間は平等です、私も含めいずれ誰もが辿る道、私たちの少し先を歩んでおられる皆さんは、私たちの将来像でもあります。良い年月を重ねられて素敵な先輩で居てください。