地域代表選出の在り方について
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平成最後の統一地方選挙(県議会議員選挙)では従来の県議会定数委員会の決定通り、特例選挙区の合区が行われ、養父市朝来市選挙区が一つの選挙区(定数1)となり議員定数も87名から86名と訂正された。
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地方創生が叫ばれるが、地域代表の選出方法は従来通りであれば中山間地からは議員が出せなくなる。次回県議選(令和5年)までに議員定数や選出方法について熟慮し早期に結論を出すことが付された。
それら決定に則り、定期的な勉強会を開催しています。
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自民党県議団でも選挙区が広く、都市間格差の大きい北海道議会での取り組み調査を行うなど精力的に活動しています。
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昨年は山梨学院大学法学部「江藤俊昭」教授より講演をいただきました。(県下全体で1選挙区による比例代表制、一票の格差是正の正当性などと現状課題解決への矛盾点指摘)
今回は、東大大学院法学政治学研究科「金井利之」教授に講演いただきました。法学者として県議会の歴史と法的定義の矛盾などについて解り易く解説いただきました。以下ポイント
- 県内人口減少と格差拡大 県と市町の役割変化
- 人口減少・人口格差により変わる役割変わらない側面
- 地域の利害関心代表、多元的な代表
- 県全体代表VS選出地域代表
歴史
廃藩置県で設置された官製の県令に地域意見の反映、地方民会と総称する(帝国議会以前)、全国議会の代替物。明治8年(1875年)第一回地方官会議開催。
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府県会規則・郡区町村制法・地方税規則 明治11年制定・12年(1879年)施行 府県・郡議会の成立
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府県制
1888年(明治21年)地方行政官庁・行政区域ではなく地方団体として府県、郡制、市政が施行される
●しかし実態は今でいう広域自治組合で、議員は市郡・町村の議員から互選された。
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1899年(明治32年)官の監督下で法律命令の範囲内で公共事務・委任事務を処理できる。議員は有権者による直接選挙となる。
1946年(昭和21年)男女普通選挙が実施され、第一次吉田内閣成立。東京都政・府県制、市町村制が改正。内容は国からの地方団体が分権化。
民意反映のため議員数は増加、年1回の定例会が年6回と激増。
(相撲の本場所が議会、休会日は地方巡業(有権者訪問)?)
1947年(昭和22年)地方自治法改正、議会を住民代表による最高意思決定機関に、国会議員と地方議員の兼務禁止
●府県は市町村の連合(一部事務組合)ではなく地方公共団体となったが、選挙区は市町村単位のままであり府県は選挙区区割り画定できない。このことが府県=郡市連合(事務組合)の残像を持つ。
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2103年(平成25年)公選法改正、郡市選挙区の廃止・市町村選挙区へ
●市選挙区は確定したが町村は隣接町村または隣接市と合区(公選法15条)
強制合区:議員一人当たり人口0.5未満
任意合区:議員一人当たり人口0.5~1未満
1以上の場合は広域選挙区にはできない
~市町村連合から議員を選出しているような残像~
議員一人当たり人口が0.5未満の町村は地域として認めていないことになる。都道府県が市町村連合ならば小規模市町を二級市町として半人前扱い、都道府県構成団体として公平に扱っていないことになる。
県主導地域代表制
県議会議員が代表すべき地域とは何かが曖昧、行政区画・衆議院選挙区・地勢・交通などを総合的に考慮し合理的に選挙区画定(15条7)
●県の事情で自由に画定できない・市町村の代表ともいえない
地域代表制の可能性
市町村という地域代表制にすれば市町村間で差別が存在。政令指定都市の選挙区においても市を代表しているのではなく区を代表しているに過ぎない。
●特例選挙区は1966年、都市人口増と中山間地の人口移動を想定して移動前の状態を保証する凍結策だった。
構造的な少数問題
会派、男女、年齢、地域、どの観点から定数や区画を設定しても過密と過疎、多数と少数の問題に突き当たる。
金井氏案
区町村を分割しない最低単位
選挙区審議会の設置
現公選法から衆議院小選挙区を削除、経済文化気候を加える
選挙区定数は3以上、1人区は問題多い(低競争、多数派有利)
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財政需要額の算定要因は、人口と面積
公選法は人口のみ、ただ面積が広いことは人に訴える、人に接する時間距離が長いこと、都市部では物理的距離は近い。この観点(人対人の時間・距離)を一票の格差是正の指数に入れて計算し直せば面積要件が実質計られることになる。