3.11 の日に!
事務所に同級生が訪ねて来てくれました、宿南智宏くんです。間もなく岩手県宮古市に復興手伝いのため単身で行くそうです、期間は5年契約。(夫婦や家族仲が悪いわけではありません、それどころか極めて良好で昨日は彼の母君とはシルバーダンスでお会いしたところです)
建築土木が彼の専門で(高校時代も理数系)建築会社勤務から設計事務所を独立開業したり、市や県の仕事も現場で支えてくれた専門家です。
宮古市でどんな仕事をするのか?まだ決まってはないようですが、建築土木の技術資格やパソコン情報処理も得意、一方で地元区長も務める彼ですからきっと活躍してくれるに違いありません。今回の採用は復興庁が窓口となって被災地の要望を受けて実施した試験をパスした者を、市町が採用することになるのですが、処遇は全く相談していないとの事! (大丈夫?) 被災地ゆえか市営住宅も空きが無く、自分で探してくれと言われたとか。民間物件も含めて住宅は不足しているようです。 それでも行く決心をしたのは、復興にできることをしたいと感情的に思うのは誰でもそうですが、彼の場合、建築土木の専門家として、現場需要を直視した時、腕が鳴る みたいな武者震いに近い感覚があったようです。
私は彼に、ガンバリ過ぎないこと(民間感覚と大きな公的組織の違い)と地震被災地兵庫県としての東北復興の意味について話ましたが、同じ考え方でありお互い納得しあいました。
2年経過して、被災者の感覚が日常化し、長期的なビジョンを描きにくくなっている事への懸念、では誰が? 間違いなく市や県の首長が描き、住民の総意に持って行くのが筋です。全ての国民負担で行う復興ですし、とりわけ私たちのように少子過疎化が進む中山間地で暮らす者は、同じ田舎の将来展望が描ける震災復興であって欲しいと願っています。そのための強力なら惜しまないはずです。